人に任せること

人に任せるって難しい。正月休みに起業家の友人と会っていてそんな話になった。マネージャーと部下の関係でもこの問題はあると思うが、自分の会社となるとなおさらだと思う。人に任せて何かが起こると小さな企業だと会社の生き死にに関わる可能性だってなくはない。けど、一方で、delegationしていかないと、自分ができることだけだと限界がある。

年末からSapiensという本を読んでいるが、人が他の動物と決定的に違うのは抽象的な概念をコミュニケーションすることができ、それによって多くの人の意思統一を行なって協力をしあえることだとあった。なるほどなと思ったが、そう考えても、多くの人と協力するということがいかに大切なことかと感じる。

自分の会社でも個人事業主であっても、会社や仕事に自分を投影し、肯定されても否定されても自分自身にされているかのように感じてしまう。そうなると気にするべきでないことも気にしてしまって広がりがでない。彼女の場合は、そういった状態にあったが、ある時自分が経営者としてやらないことをきめてリスト化し、スタッフに権限委譲していったそう。自分を投影しすぎず、ある種少し距離をおいて自分の会社を見たことで、俯瞰したり先が見やすくなり上手くまわるようになっていったとのことだった。

法人というのは日本でも海外でも法的には人格を持つが、まさに、自分以外の人として見てケアしていくということができるかどうかというのが問われるのかもしれない。

Thinker

どんな仕事を行うにしても第一歩は思考から始まる。メールを書くにも、契約書を作成するにも、MTGを行うのもまずはそれを行うと頭の中で考える。頭の中で考えたことを行動に移すだけにそのプロセスについて考えることは重要ではないかと思う。

例えば、客観性と主観性。良く客観的分析が重要ということも耳にするが、客観的分析だけではものごとは決まらない。もちろん、客観的にいろいろな要素を分析することは非常に重要なのだが、客観的分析を経た後に主観的に一方の立場をとったり何かを決めたりすることでものごとは進むし議論を行うこともできる。

また、積み重ねも非常に重要だ。僕は、若い時はその場その場で力を発揮することが自分が価値を示す時だと思っていたこともあった。ただし、最近は積み重ねの重要さを感じる。一過性の力はある意味しれていて、インプット、アウトプット、振り返りというサイクルを積み重ねることで蓄積されていくものがあり、発揮出来る価値につながる。

最近はCautious Optimisticという言葉も自分で良く使う。要するに、事前に慎重になってよく考えるのだが悲観的にならないということ。特に、考える時は様々な可能性を考えて考えを張り巡らすが、行動に移す時は楽観的に行うようにしている。

多くの“一流”と言われる人たちと一緒に働くことができ感じたことは、皆上記のようなある意味基本的なことができているということ。テクニカルなことよりもこういったある種精神的な強さが重要だと思う。最近読んだThe Barcelona Wayという本に要石の習慣という言葉があった。研ぎ澄まされた重要な習慣が組織の文化を作っていくというものだ。これに通ずるところがあるのかもしれない。

起業家との信頼関係

投資を行うにあたっては当然だが起業家との信頼関係が重要だ。限られた期間とはいえ少なくとも数年、場合によってはもっと長い期間を一緒にやっていくことになるのだから当然だ。また、投資後の経営支援を考えると自分の時間を相当使うことになる。

信頼って何か、どうやって見極めるのかはとても難しいが、私は二つの軸を持つようにしている。まずは、その人を信用できるかどうか。これはきちんと約束を守れるか、任せたことを行ってもらえるかといった基本的な部分だ。ただし、それ以上に重要なのはもっと人間的な部分。短期間の仕事を任せるのであれば極端な話、信頼がなくても信用があればお願いできるのだが、長期間付き合うとなるとこちらが重要になってくる。それを知るためには、想いやvisionについて教えてもらったり、価値観や人との付き合い方など、人としてその人を知ることを大事にしている。

これは一朝一夕にできることではないので、起業家とそれなりに時間を一緒に使うことが必要となる。抱えてる悩みの壁打ち相手になったり、一緒に事業について考えたりしていく中で、そういったことを感じてくる。投資前に行うデューデリジェンスにおいては財務などのtangibleな情報の精査も重要だが、信頼関係を構築できるか、長い期間をご一緒できるかといった点をお互いに確かめ合うにも有用な期間だと思う。

こういった「ソフト」的な面をどの程度重要視するかは、投資家によってバラツキがあるのではないかと思う。私が属していた組織では日本でも海外でも同じだった。ある時には予算作りを毎晩夜中まで一緒に行ったり、ある時には将来について話したり、いろいろな形で起業家と一緒に時間を過ごした。そういう中で信頼関係を築いていったと思う。

「リーダーシップ」、「マネジメントチームの信頼性」などいろいろな言葉が使われるが、起業家と仕事をする上で、さらにいうとどんな仕事においても重要な点ではないかと思う。

主観性と客観性

仕事においては、主観性と客観性を持つことが大事だと感じる。まず、現状に関して客観的な情報をなるべく多く集め、いろんな角度から考えてみる。ただし、客観的分析だけではものごとは決まらない。もちろん、客観的にいろいろな要素を分析することは非常に重要なのだが、客観的に表しきれないこともあるし、客観的分析を経た後に主観的に一方の立場をとったり何かを決めたりすることでものごとは進むし議論を行うこともできる。

昨日、インパクト投資における投資基準について議論する機会があった。インパクト投資において、投資先が作ろうとしているインパクトや社会性というものは客観的にすることが非常に難しい。でてきたインパクトを客観的に測るということはできるかもしれないが、起業家や社員の人たちが作ろうとしているインパクトというのは彼らの意図でありとても主観的なものだからだ。ただ、ここで重要なのは客観性にこだわることではなく、起業家の意図にいかに共感できるか、同じ世界を作っていこうと思えるかという極めて主観的なものとなると思う(これはインパクト投資に限らないと思うが)。

可能なかぎり集めた客観的な情報をdigestした上で、決断/判断をする際は主観を持ちさまざまな人とその主観をぶつけ合い決めていく。こういったプロセスを行ってものごとを決めていくことを私は過去に学んだが、こうしたプロセスを経ることができないと決断への責任感がなくなり誰が決めたのかわからなくなってしまうのかなと思う。

時間管理の重要性と難しさ

出口 治明さんが著者である「教養は児童書で学べ」という本を読んだ。その中で紹介されていた「さかさ」と「モモ」が印象的だった。「さかさ」は何でも逆になっている世界が描かれた本。自動車のボンネットは後ろに、屋根は下にあるといった感じだ。価値観も逆になっており大人が休んで子どもが働いていたり、健康な時にお金を払い病気になると払わなくて済む。

「モモ」は時間の管理者という集団がいて個人個人の時間の効率化を行っていくと、逆にどんどん時間がなく感じていくというもの。現代社会にも通ずるものがある。Technologyの発展などでいろんなことが効率的に行われるようになってきている一方で現代人は時間にもこころにもゆとりを失くしつつある。自分に当てはめてみてもそう言えると思う。毎日時間が足りないと思いながら生きている。今日あれをやってこれをやって、いつまでにあれをやってこれをやって。

最近感じているのは、自己管理の重要性とその難しさ。時間の使い方、精神的や肉体的な体調の保ち方など。20代のころは多少無理をしてもすぐに一晩寝ればリカバリーできるが年齢を重ねるとリカバリーが効きにくくなるだけに管理が重要になってくる。特に時間管理が難しい。予定を立てても思うようにものごとが進まなかったり毎日予定外のことが入ってきたりして優先順位をつけなおし続けなくてはいけない。あまり効率化にこだわりすぎても上記のモモのようになってしまうし、かといって行き当たりばったりではものごとは進まない。うまく時間管理をしつつプロセスそのものも楽しめるようにするのは今年の抱負の一つ。

一日のスケジュール

一日のスケジュールの中でどういった類の仕事を行うかをなるべく決めておいてスケジュールを立てるようにしている。例えば、朝はなるべく作業に、ミーティングはなるべくランチから午後にかけて、夕方は一日を振り返って纏め、それ以降は情報のインプットといった具合だ。もちろん、ミーティングや作業は日程や締め切りを自分でコントロールできない場合もあるが、可能な限りスケジュールをコントロールするようにしている。

思考プロセスのエントリーで積み重ねについて書いたが、こういったルーティンを作っていくことで積み重ねがされていくと思う(あまりルーティンという言葉は好きではないのだが)。こういったやり方も若い時はしていなかったことの一つ。やってみると、どうしても目の前のことを先に片付けたくなってしまうため上手く時間を管理するのは意外と難しい。そういう時は、本当にその仕事はいまやるべきものかと問いかけるようにしていて、また、スケジュールが決まっていると段々作業などもそれに合わせて組んでいくようになる。

仕事の中身

今週スタートアップとの定期ミーティングの中で、誰のため、何のための仕事なのか考えて仕事をするということについて学ぶ機会があった。

あまり具体的には書けないが、皆が忙殺される中、大事なお客さんのための仕事が作業化され誰かが行ってくれるのを待っているという状況となってしまっていたように思う。

仕事をしていると何かをつくること自体が目的になり本来の目的からずれてしまうことがある。また、本当に中身をよく考える前に、こういうものだから誰々次第だよねとか誰かの意見を聞くまで待とうといったような安易な結論を出してしまうこともある。そうすると、決断が無駄に先延ばしになっていく。そういえば、私が学んだB-schoolで「depends on~」は大人の言い訳という教えがあった。こういうことを言っていたのかもしれないなと思う。Reasonableな範囲であれば、多少の推測を含んでいても一歩踏み込んで考えることが提供相手に対しての仕事の質を高めるように思うし、価値のある提案ができる気がする。

決断するということ

決断するということはとても難しいことだと思う。どんな決断でも誰にも影響を与えない決断というものはなく決断した後人に与える影響を考えざるを得ない。この影響を与える範囲や度合いが大きければ大きいほど決断は難しくなる。

また、決断するためには決断に関係ないことを考えないことも重要だ。さまざまなレベルでの悩みや葛藤が生じてくるが、その時しようとしている決断には関係ないことは考えない。先送りにしているようにも聞こえてしまいそうだが、決断すべきことを先送りにするのとしなくて良いことを先送りにするのとのは全く違う。決断するというのは非常に消耗することで、次から次へと大小問わず決めなければいけない環境にあっては決断に関係ないことを考えないことも重要。

また、一人で何かを決めれるということも少なく、関係者の合意形成を図っていくことが重要となる。決断自体の重要性もさることながら、得てして決断のための合意形成のプロセス自体が重要であることが多い。正解はない中、関係者が腹落ちして決めたことを実行しようと感じてくれることが重要である。

私は、1サイドを取ることが得意でなかったが、良く考えるようになってからは比較的やりやすくなった気がする。客観的に状況を分析し、主観的な考えを入れてみる。入れた主観的な考えが成り立つロジカルな説明ができるかを考えてみる。

最後に、とても大事であるのは決断する人が安全な環境にあるということ。決断に限らず創造性を発揮したりするのもそうだが、安全な環境にないとそういった力を発揮することは難しい。起業家支援の重要な部分にはそういった環境をつくることにあるのではないかとも思ってしまう。