心の声を聴く

NYC在住のアーティストYagullのKanaが東京に来ており、昨年のイベント用のビデオ編集をしてくれた友人と一緒にランチをした。

印象に残ったのは、彼女のスランプ時の話。(特にクラシック業界ではよくある話だそうだが)とにかく先生からネガティブによく怒られていたらしい。そして散々練習してきたのに大事な受験の際に頭が真っ白になってピアノが弾けなかったとのことだった。

その後、新たについた先生から言われたのが、「あなたのピアノの音は、間違えないようにひこうとしている音に聞こえる」と指摘があった。正しくしたい、人から認められたいということが動機になっていると本当に良いものが出てこない。これは、ピアノの世界だけでなく一般的な教育やまた仕事などにおいても同じではないかと思う。私も経験したことがあるが、間違えないように人から怒られないようにということが動機になるとどんどん消極的になるし、パフォーマンスも良いものがでなくなって空回りしていく。

それから、彼女は何年もかけて「心の声を聴く」ように努めたとのこと。心の声が奏でる音を弾くといったことをするらしい。この話を聞くとYagullの音楽感も納得できる。

自分の心の声を聴くというのはとても難しいこと。あるべき論、やっちゃいけないなどといろんなことがいろんな理由をつけていく。本当にそれができるようになると素晴らしいことだと思う。

人に任せること

人に任せるって難しい。正月休みに起業家の友人と会っていてそんな話になった。マネージャーと部下の関係でもこの問題はあると思うが、自分の会社となるとなおさらだと思う。人に任せて何かが起こると小さな企業だと会社の生き死にに関わる可能性だってなくはない。けど、一方で、delegationしていかないと、自分ができることだけだと限界がある。

年末からSapiensという本を読んでいるが、人が他の動物と決定的に違うのは抽象的な概念をコミュニケーションすることができ、それによって多くの人の意思統一を行なって協力をしあえることだとあった。なるほどなと思ったが、そう考えても、多くの人と協力するということがいかに大切なことかと感じる。

自分の会社でも個人事業主であっても、会社や仕事に自分を投影し、肯定されても否定されても自分自身にされているかのように感じてしまう。そうなると気にするべきでないことも気にしてしまって広がりがでない。彼女の場合は、そういった状態にあったが、ある時自分が経営者としてやらないことをきめてリスト化し、スタッフに権限委譲していったそう。自分を投影しすぎず、ある種少し距離をおいて自分の会社を見たことで、俯瞰したり先が見やすくなり上手くまわるようになっていったとのことだった。

法人というのは日本でも海外でも法的には人格を持つが、まさに、自分以外の人として見てケアしていくということができるかどうかというのが問われるのかもしれない。